淡路島牛乳のルーツは、日本にホルスタインが導入されてからわずか10年後に始まります。
1900年(明治33年)、島田昭文氏ら有志3名が横浜から淡路島に初のホルスタインを導入、これは北海道・岩手・千葉に次ぎ、西日本では最も早い導入でした。田中萬米翁の ”淡路島をホルスタインの島に” の思いを胸に昭和28年頃から乳質の改良に力を注ぎ、伝説の名牛 ”ジェネラル”、世界的超一流ファミリーの ”ピックランド” や数多くの種雄牛をカナダやアメリカ等、酪農の本場から直輸入しました。この乳質改良事業は昭和62年まで続き、種雄牛19頭、種雌牛55頭の計74頭を導入し、淡路島の乳牛は乳質や体格等が格段に良くなりました。
その後も、おいしさを追求する酪農家の思いや関係者の熱意によって淡路島のホルスタインの質をさらに向上することに成功しました。
120年以上続く名牛をルーツとした歴史と淡路島の豊かな自然が美味しい淡路島牛乳を生み続けています。
改良時代
1953年(昭和28年)
名牛カーネーション・ファイブ・スター・ジェネラル号(県有輸入種雄牛)をアメリカから直輸入。米国カーネーション牧場という世界的名門の出で、父母の系統も非常によく、姉のカーネーション・デージー・マドキャップは乳脂量で世界記録を出しています。15年もの長寿で19,000頭以上を繁殖させました。
名牛カーネーション・ファイブ・スター・ジェネラル号(県有輸入種雄牛)をアメリカから直輸入。米国カーネーション牧場という世界的名門の出で、父母の系統も非常によく、姉のカーネーション・デージー・マドキャップは乳脂量で世界記録を出しています。15年もの長寿で19,000頭以上を繁殖させました。
1969年(昭和44年)
優良種牛の直輸入に着手。世界的優秀なファミリーを有するピックランド・シュープリーム・プロミス号(組合有輸入種雄牛)をカナダから当時3,240万円、日本最高価格の巨額を投じ直輸入しました。母牛のオーク・リッシズ・リーガル・モードは、平均脂肪率4.18という乳質をたたき出した偉大な牛です。日本中の酪農家から注目を浴び、13,000頭以上に繁殖させ、世界的改良へのスタートとなりました。
優良種牛の直輸入に着手。世界的優秀なファミリーを有するピックランド・シュープリーム・プロミス号(組合有輸入種雄牛)をカナダから当時3,240万円、日本最高価格の巨額を投じ直輸入しました。母牛のオーク・リッシズ・リーガル・モードは、平均脂肪率4.18という乳質をたたき出した偉大な牛です。日本中の酪農家から注目を浴び、13,000頭以上に繁殖させ、世界的改良へのスタートとなりました。
1969年(昭和44年)
淡路島の酪農発祥地に淡路島牧場の前身である乳牛改良センターを建設。乳牛子牛の預託育成・輸入メス牛の改良増殖・オス牛の飼育管理・凍結精液の製造・人口受精業務を開始する。
淡路島の酪農発祥地に淡路島牧場の前身である乳牛改良センターを建設。乳牛子牛の預託育成・輸入メス牛の改良増殖・オス牛の飼育管理・凍結精液の製造・人口受精業務を開始する。
1970年(昭和45年)
名牛ピックランド・シュープリーム・プロミスの代表的な息牛である、ピックランド・エルム・アドミニスター号。高等体格審査92.5点で当時の国内産種雄牛No.2にランクされ、改良センターの代表的な種雄牛として活躍しました。
名牛ピックランド・シュープリーム・プロミスの代表的な息牛である、ピックランド・エルム・アドミニスター号。高等体格審査92.5点で当時の国内産種雄牛No.2にランクされ、改良センターの代表的な種雄牛として活躍しました。
淡路島牛乳製造の歩み
2006年(平成18年)
匠 淡路島牛乳 製造開始
匠 淡路島牛乳 製造開始
2007年(平成19年)1月1日
三原郡酪農農業協同組合、洲本市酪農農業協同組合合併により、淡路島酪農農業協同組合設立
三原郡酪農農業協同組合、洲本市酪農農業協同組合合併により、淡路島酪農農業協同組合設立
2010年(平成22年)
最新式の充填機ESL導入
最新式の充填機ESL導入
2016年(平成28年)4月1日
淡路島酪農農業協同組合の牛乳工場を継承し、事業を開始
淡路島酪農農業協同組合の牛乳工場を継承し、事業を開始
2016年(平成28年)10月1日
淡路島藻塩プリン 製造開始
淡路島藻塩プリン 製造開始
2017年(平成29年)10月1日
淡路島コーヒープリン 製造開始
淡路島コーヒープリン 製造開始
2018年(平成30年)10月1日
淡路島生乳100%ヨーグルト 製造開始
淡路島生乳100%ヨーグルト 製造開始
2019年(令和元年)7月20日
淡路島モッツァレラ 製造開始
淡路島モッツァレラ 製造開始
2020年(令和2年)4月25日
淡路島カチョカヴァロ 製造開始
淡路島カチョカヴァロ 製造開始