今回は、淡路島の酪農を築き上げた偉人 田中萬米翁のご紹介

田中翁は県立農学校に学び、二毛作だけの淡路島の農業を何んとかしなくてはとの意欲に燃え、研究心旺盛で先んじて実習に励んだ。「ようし、淡路島を乳牛の島にして見せる」と夢に描いて卒業。帰郷するとひたすら、この夢を実現するため、自ら酪農を経営しながら啓蒙普及した。資金の調達、組合や協会の設立、煉乳工場の誘致、配合飼料の製造、優良牛の導入など、きめ細かな指導をした。戦前に、三原郡酪農統制会、三原郡酪農調整販売購買利用組合をつくり、戦後はいち早く、酪農専門農協の必要性を強調、酪調を解散して昭和23年三原郡酪農農業協同組合を設立、推されて組合長の重責を12年余に亘って全うし36年5月勇退した。この間県酪連会長、全国酪農協会理事の要職にも就き戦後の三原酪農復興、飛躍への基盤を構築した。

玉ねぎの栽培を奨励、普及したのも田中翁だ。乳牛から出る堆肥で畑の土を肥やすことで、三原酪農と淡路玉ねぎを特産化し、三原平野の多角経営農業の基盤を築き上げた功績は偉大である。翁の生前、39年5月酪協事務所前に建てられたブロンズの顕彰碑は、じっと三原平野を見守っている。

【略歴】

明治25年4月25日、南淡町(現、南あわじ市)賀集八幡立川瀬28に生まれる。
県立農学校卒業(明治45年)
有限責任賀集村酪農信用販売利用組合組合長理事(大正2年~昭和19年)
県農業技手(大正15年~昭和3年)
三原郡畜産組合組合長(大正15年~昭和18年)
賀集村村会議員(昭和4~12年)
淡路銀行取締役社長(5年~6年)
淡陶取締役社長(5年~39年)
藤井煉乳取締役(8年~9年)
淡路煉乳取締役(9年~15年)
保証責任三原郡酪農調整販売購買利用組合組合長(15年~25年)
賀集村村会議員(17年~32年)
賀集村農会会長(19年~22年)
全国酪農協会理事(21年~36年)
県酪農協議会、県酪連会長(22年~36年)
淡路商工会議所理事(22年~25年)
賀集村村長(22年~26年)
中央馬事会理事(22年~23年)
三原郡畜産販売農協連会長(23年~25年)
三原郡酪協組合長(23年~36年)
県農業委員会委員(26年~29年)
昭和53年11月4日没(86歳7か月)

【受賞歴】

中央畜産会頭表彰・畜産功労(大正15年)
賀集村農会長表彰・玉ねぎ栽培奨励功労(昭和4年)
県知事表彰・殖産功労(7年)
農林大臣表彰・馬事功労(8年)
日本競馬会理事長表彰・馬事功労(13年)
農林大臣表彰・馬事振興功労(13年)
県知事表彰・酪農、玉ねぎ栽培普及功労(27年)
黄綬褒章・酪農功労(33年)
神戸新聞平和賞・社会功労(39年)
勲5等双光旭日章叙勲(40年)